4年間

 大学1年生


センター試験や一般入試を乗り越え、無事に大学生になる。行きたかったところではなかったけど、結果的にはよかった。
9年間不登校の人間が大学に合格するなんて夢のようだ。
やっと「普通」というレールに乗ることができたと思った。

勉強が大好きだったから授業は熱心に聞いたし、成績も悪くはなかった。授業を受けていること自体が楽しかった。毎日大学に行けて嬉しかった。

入学してすぐに、女の子の友達ができた。
クラスに女子が4人しかいなくて、初めての顔合わせの時に私から話しかけた。自分の明るい部分が発揮されて、かなり親しくなった。
授業をいつも一緒に受けたり、一緒にお笑いを見に行ったり、ご飯食べに行ったり、いつでも一緒という感じだった。

だんだん自分の暗い部分が出てきて、常に一緒にいる状態がしんどくなってしまった。授業を別で受けたり、誘いを断ったり、ひどいことをしてしまったと思う。私は夜間の部で、彼女は2年生になる時に昼の方に行ったから疎遠になってしまった。思い出すと今でも罪悪感でいっぱいになる。


この頃から男性に傷つけられることが多くなった。素直で正直な人間は舐められるのかもしれない。人は怖い、人は冷たいと心底思った。19歳だった。
欠陥人間だと言われたり、レイプされそうになったり、ストーキングされたり、大学の人からセクハラされたり、そういったことの標的にされていたと思う。私が悪いかもしれないが。


1年生の夏頃からバイトを始めた。
自分がバイトを始めるなんて信じられなかった。
スーパーのバイトの面接で、どうしたらいいかわからずバックヤードに入ってしまった。あとからカメラで見られていたらしく、本当に恥ずかしい思いをした。

自分は恥ずかしいようにしか生きられないのだと思った。

バイト先では小学校の頃仲良くしてくれていた子が偶然働いていて、シフト終わりに一緒に帰ったり、バイト中はイライラしている(させてしまったのか)お客さんに怒られたり、ご結婚されてますか?と言われ電話番号渡され、それを帰り道に破いて捨てたり、まあいろいろあった。2年生の冬頃まで続けた。

1年生の頃はひたすらバイト、授業、バイト、授業の繰り返しだった。

2年生

2年生の記憶はあまりない。

コンビニのバイトを始めて、スーパーと掛け持ちをするようになる。朝6時半に起きて9時に出勤、14時か17時に退勤、1時間かけて大学に行って授業受けて夜10時半くらいに帰宅。
ほぼ毎日この生活だった。

冬休みや夏休みは8時間週6で入ったり、8連勤していたこともあった。学費のために12万くらい稼いでいた。
コンビニは自分が壊れる一因にもなったと思う。あまりに肉体労働で、セクハラが蔓延っていて、毎日辛かった。

一緒に働いてる人から「絶対君のこと落とすから」と言われたり、トイレ掃除を教えるからと言われついて行ったらトイレの鍵を閉められたり、妻子持ちの店長から「抱きたい」と言われたり、業務中に店長から「声が聞きたくて」という電話がかかってくる。
その時の私の心情なんて誰にも分かりっこない。ひどく惨めだ。性的な目で見られることにうんざりだった。客も働いてる側の人も気持ち悪かった。

心も体も限界で、帰りの電車でぼろぼろ泣くことがたまにあった。
お金がないだけでこんなに辛く、本当に苦しかった。お金があったらバイトなんてせずに済んだ。自分が壊れなくて済んだ。

「すみれがいるとやりたいことができない」「病院行った方がいいよ」「これじゃまるで介護だ」
みんな私を置いて遠くへ行ってしまった。


3年生

入りたかったゼミに受かり、給付の奨学金が通った。
相変わらず恋愛面でぼろぼろだったが、学業やバイトはなんとかやっていた。ぼろぼろだったが。

この頃からうつ病と社交不安障害がかなりひどくなった。

毎日死ぬことを考えるようになる。周りと自分の異常性がはっきりとしてくる。死んだ方がましだとか、自分は死ぬべき存在だと思っていた。罪業妄想もあり、自分には罪があって、人に嫌われるのが罪ならば受け入れなければなどと考えていた。家族に迷惑をかけたくなくて、自宅では死ねないからなんとか耐えていたが、限界が来て首を吊ろうとしたものの結局死ねなかった。


一方で、大学のゼミでは活動を盛り上げようと尽力し、先輩や同期からも慕われていた。と思いたい。みんなから信頼してもらえていたし、自分にできることを精一杯していた。役に立ちたかった。すみれちゃんが一番みんなのこと考えてるよ!とか、そんなこと俺にはできないとか嬉しいことを言ってもらえた。

3年生は授業とゼミとバイトで忙しかった。就活もぼちぼち始めていた。


ところで、人という存在は列車で、私は駅だ。
人生において「通過する人」という存在があるように思う。おそらくもう二度と会わない人、もう話すことがない人に私はそれを感じる。
私という駅にたまたま人は停車し、やがて発車し次の駅に向かう。長く停車するものもあれば、すぐに発車するものもある。
誰も彼もが私の人生を通過し、相手は私を忘れていく。
通過していく人々が輝くことを心の底から願っている。

私はマッチングアプリやチャットアプリを中学生の頃からやったりやめたりしていて、ネットで出会った人に傷つけられてきたのに孤独だからやめられないという、病的なものを抱えていた。付き合っている人がいる時はもちろんそんなの考えもしなかったけど。
性格の欄で「優しい」を選択している人はみな私を無下にした。


2年生の冬だったか3年生の春だったかおぼろげだが、橋から飛び降りようと思った。
誰からも忘れ去られる人生だから、せめて記録に残すためにツイキャスで配信を始めた。
タイトルを自殺配信にしてしまったのでだらだら喋っているうちにBANされ、1ヶ月アカウントが停止された。死ねなかった。

4年生

卒論や就活で忙しかった。就活はずっと出版社を受けていたが内定は貰えなかった。ぼろぼろな状態の時にいい会社に拾ってもらえて、4月から働く。自分が社会人になるなんて夢のようだ。働きたい。働くことが楽しみだ。

卒論も無事に書き終えた。興味のある分野で一応は頑張って書いたし、この先の人生で研究したいことが見つかってよかった。4年生はあっという間だった。

4年間で壊れたり傷ついたりした部分は大きい。でも、それ以上に得られた経験の素晴らしさもある。当たり前のことを普通にできて、当たり前じゃない凄いことを成し遂げられた。

22歳まで生きてよかった。これからも生きたい。

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